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Showing posts from 2009

僕たちが大人になれない12の理由

タイトルは昔読んだ本から。 思い出話。  1年生の5月、大学で出来た友達に連れられて、色んな大学の人たちが集まってビジネスをやろう、みたいな集まりに行った。そこではみんな何故かスーツを着ていて、名刺を持っていた。彼らいわく、この集まりは「起業志向」なんだと言った。ああ、自分でビジネスをやることか、それなら俺も混ぜてよ、って感じで連絡を取り合うことにした。次の日、名刺を作った。しかし、何かインパクトがあって、カッコいい肩書きが欲しいと思った。それならpresidentだろう、ということで代表の肩書きにした。しかし、何の代表だ?俺がリーダーならば、チームがなきゃいけない。そこで「金字党」という団体をその場で立ち上げた。この金字党という名前は実は高校のときに考えていた。確か、その頃から自分のチームを作りたくて、ラッパ我リヤとかの「走馬党エンタテイメント」に倣って命名したんだと思う。その証拠に、高校のラグビー部の部室にいくつかダギングしてあると思う。名刺の名前の下には「traveling」と入れた。これは「ティファニーで朝食を」の主人公を真似た俺なりのアピールだった。  そしてその後、高校の奴らを集めてメンバーにして、実質的にチームにした。対外的には「ビジネス団体」と表明して、ビジネスに興味がある奴が集まるようにした。その頃から団体の目的も明確に整理して、「団体理念」も書き上げて公表した。そしてそれに釣られて、思惑通り「起業志向」の学生が集まってきた。俺たちは面白がって面接を行った。相方はハンバーガー片手に面接をしていた。悪ふざけもいいとこだったな。でも集まった奴らは、メークマネーしたいって言う割には、正直ダサい奴らばっかだった。おどおどして、胸を張って夢も語れないような奴らだった。俺がそこから育てるべきだったんだが、出自が違っても活きのいい奴と俺は一緒にやりたかった。例え音楽を知らなくても、ヒップホップ的な精神がわかる奴とやりたかった。まだ伝えることに責任感がなかったのだと思う。  俺は金字党っていうインパクトのあるチーム名を使って、大学のエンタテイメントシーンに変革を起こしたかった。そして1年生のときにPurple Hazeっていうイベントを立ち上げた。1年後にはPurple Hazeと金字党って名前は大学じゃみんな知っていた。2回目のPurple

STILL

少し違う風に当たりたかったから、しばらく顔を出すのをやめた。 ただ、旅に出るといつも俺は勘違いされる。 周りの多くの奴はどうやら退屈らしかった。 「あぁ、またどっか行っちゃったよ」 「得意の自己陶酔が始まったぜ」 「またそれっぽい偽善をたれるんだろう?」 確かに王様気取りのこいつはプライドが高いが、 俺が考えていたのは、残念ながらそんなことじゃなかった。 謝らなければならないことがたくさんある。 それよりも先に、感謝しなければならないことが山ほどある。 それが何より重要だった。 どんなに多くを学んでも、たまに見返りを求めたり、 それでたまにいらだったりする。まだまだだな。 確かに物事が思い通りにならないと辛いけど、 何かを欲しがる、どこか目指す場所があるってことは本当に幸せだ。 それが何より大切だった。 たどり着いても、たどり着いても、まだ先があった。 その時俺は幸せだった。 だったら俺にはすることがこれからたくさんある。 周りに負けじと、俺は若かった。  一晩中泣いて冷静になった、と矢沢が昔言った。映画を観て久々に泣いた。号泣した。自分でも驚いた。堪えるのに精一杯だった。ああ、本気だったんだなとどこかで安心した。母は、心が疲れているのよ、と言った。うちの母にしては珍しく何か察したのだろうか。  幼い頃、たまにふざけて母に父との馴れ初めを訊くと、(もちろん父のいない場でだけど)決まって母は「断れなかった」と冗談めかして答えた。子どもながらに、笑ってはいるが半分本心なのだろうと思い、嫌だった。違う答えを期待してまた尋ねても同じ答えしか返って来ず、毎回残念な思いをしていた。先の映画は、ある夫婦の話だった。同じ日に、また夫婦の話を本で読んだ。なんてタイムリーなんだろう。良くも悪くも、コントロールできないことはまだたくさんある。  腕に矛盾が刻まれてる。伝えなければならないという義務感と、黙って考えなければならない、孤独と戦わなければならないという義務感。 ひとりで生きてはいけない。頼りなさい。 伝えることをあきらめてはいけない。 そして背負いなさい、仲間を。  そう告げる声がここ数年強かった。だけど再び、ある別の声が呼ぶ。 向き合いなさい、この私と。 他では

The Sethis "The Importance Of Compatible Technology In The Next ICT" (卒業論文「ICT変遷に伴う互換性の意義」)

論文が完成。ここ半年くらいで考えたことをわりとまとめれた。かなり初めは荒削りしたのでシンプルすぎるところもあるかもしれませんが、イチバン言いたいことを抽象化できたのでまぁ満足。 ↓提出前だけど公開します。意見もください。 ◆概要プレゼンテーション ◆本文 <キーワード> Compatibility, Accessibility, Standardization, 媒体 , innovation, translation, software, 文化相対主義 <要旨>  「氾濫」から「スマート」へ。無限のパブリック・スペースをあらゆる情報が混沌と埋め尽くしていった時代から、それらを整理し、より効率的に使う時代へと情報社会は変わりつつある。そしてより可用性の高まった情報社会において、これから重要な議論となるのは情報通信技術を含む様々なコミュニケーション・ツールの標準化についてである。    グローバル化と ICT 化は相互に密接に関連しながら、やがて経済から人々の生活にまで影響する。1つの世界標準を作ることは、その標準に倣ったもの同士の移植性を高めるが、閉ざされた競争環境を生み出しやすい。それまで考えもしなかったようなイノベーションによって発展し続ける我々の世界にとって、「変わりにくい標準」は技術の進歩を妨げる。当論文では主に情報通信技術分野に焦点を当てて、コミュニケーションという広い視点と関連させながら標準化について説く。 明治大学商学部商学科総合学際演習バワーズ・ゼミナール第1期卒業論文集寄稿

THE ROOTS

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遊牧民の王様の話のルーツがわかった。 お互い変わっても、それを尊重し合える関係は素晴らしい。  地元にヒデくんという友達がいる。俺には地元がないから、高校のラグビー部で一年先輩だった彼がたまたま近くに住んでいたというだけなのだけど。彼とは高校の頃からよく地元の銭湯に行って語り合った。そしてその後は彼の家に行って、朝まで話の続きをするといった具合だった。たまに他の仲間も呼んで俺の家で会を開くこともあった。あの頃の移動はチャリだったな。今はクルマだ。  ヒデは中学まで不良だったが、音楽や思想など色んな世界を知ってた彼から幼かった俺は色んなことを吸収した。部活が中心の生活だったし、高校生らしい遊びもしてたけど、レコードを探しに行ったり、ミニシアターを観に行ったり、メインストリームから少し外れたようなカルチャーを歩き回った。  一年早く大学に上がった彼は早速インドへ行った。大学に入ったら海外を旅するのが夢だったから、俺の方がわくわくして、行きは空港まで見送りした。平日の朝だった。通勤ラッシュの満員電車で彼は言った。日本ってどんな国なんだろう。  確かその後だと思う。俺がよくするモンゴルの話を聞いたのは。史上最大の帝国には何一つ遺跡や文書が残っていない。宮廷さえも移動式だった彼ら遊牧民は、記録でなく記憶の民族なのだと。  一年遅れて俺も大学に入学し、カリフォルニアからメキシコにかけて旅に出た。初めての一人旅で一気に世界観が広がった。帰国して、「憧れの先輩」であったヒデとまたそのことを語り合うと、彼は「もう俺たちはフラットな関係だ。俺はもう先輩じゃないから敬語もやめよう。」と言った。その頃からだ、彼を「ヒデ」と親しみを込めて呼ぶようになったのは。  それからは段々と合う頻度も減っていった。同じ大学生と言えど住む世界はだいぶ違った。俺はその頃から交友関係を広げることに努めるようになっていったし、ヒデは逆にアンダーグラウンドに近づいていった。詳しくは知らないが、少なくとも周りからはそう見られていたし、とにかく俺とは対照的なベクトルを持って進んでいった。お互い連絡を取り合うようなことは少ないし、ただ口約束でも社交辞令でもなく、確実にまた銭湯に行こうとは思っていた。  そして先日、久々に会合が実現した。話を辿ってみたらちょうど一年ぶりだった。意外に

サーフィンについて

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 先日、 Jamaicaでサーフボードを手放してきた 。千葉の家も出たし、次いつ海に行けるかはわからない。勘違いしないでくれ。俺はサーフィンはやめない。またいつか海に向かうし、それは明日かもしれないし1年後かもしれない。そして死ぬまで海は俺の居場所のひとつだと思う。サーフトリップにも行く。またあの大きな荷物で旅に出る。   サーフィンをする奴が偉いとかいう意識はもうなくなった。結局のところ終わりのないトンネルで、実はそこを進んでるときが楽しい。トンネルを抜けることが目的ではないことに気がついたから。あいつはサーフィンやめちまっただとか、海も行かないで何してんだとか、もうそんなことを言い合うようなレベルは抜けた。俺もこの先そうやって揶揄されるんだろう。サーファーという称号は与えられなくなるだろう。だが、それが与えられるものである時代は俺の中で終わった。また、たまに海に行くだろう。そしてブランクに落ち込んだりするだろうが、その時の波を楽しんで、「サーフィンに出会ってよかった」とまた思うだろう。そんな自信を、海から離れた丘の上で感じた。 先に海から離れた奴は、今一生懸命仕事の勉強をしてる。別の奴は家庭を持ってがんばって支えてる。そして俺が憧れた先輩はしばらく違う世界へ行くための勉強に取り掛かると言った。みんな海だけじゃ生きられないんだ。だから海で彼らに出会えたことは最高の宝だし、またいつか一緒にサーフィンしようぜって思う。 言わなくていいことかもしれないけど、こうやって自分のものにした実感があるから、また海に向かうだろうって自分でも思うから、ひとまず、もっと大変な人生に俺は取り掛かるよ。 From Surfin Life

THE WEIGHT

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孤独は楽だ。 そんなに楽をしちゃいけない。 書き溜めていたことをいくつか。   Jamaicaの旅行記 で書いたが、一人旅は不安であると同時にとても気楽だ。自分自身の心配をしていればいいし、自分自身にだけ責任を持てばあとは自由だ。どこへ行こうと、何をしようと、結果がどうであれ全て自分に跳ね返ってくる。 「僕がどれだけ一生懸命にいいプレーをしても、他の選手のミスで負けるときがたまらなく嫌だった。11人のメンバーで試合をしているんだから、しょうがないことだということはすぐわかる。僕のミスで負けることもあるんだからね。でも、自分でやったことがちゃんと自分に跳ね返ってこないということは、辛いことだよ。」こう言った彼はその後クライマーになった。わがままな人間はこう言う。俺もその類かもしれない。「辛いこと」から逃げて、孤独という大儀を掲げて自由を一人謳歌する。荷物が少なければフットワークも軽い。 だが、それでいいのか?とまた自問自答が続く。これまで見た景色で、素晴らしかった景色は?重い荷物を背負って、しんどい中たどり着いた景色だったじゃないか。そして色々な出会いをまたカバンにいっぱい詰め込んで帰ってきたじゃないか。デスペラード、人と生きることを覚悟したんなら、心の片隅にでもいいから、大切なものは仕舞っておくんだな。もちろんまた荷物を減らしたり、カバンを変えたりはするだろう。でも、忘れちゃいけないものは増えてくもんだ。  先日、アメリカを一緒に旅していた友達が旅行記を書いていた。あんなにエキサイティングで濃かった日々とは裏腹に、彼女たちの書く日記はあっさりしていた。少し意外だったが、なんだかその気持ちが分かる気がした。クライマーの加藤保男は一冊の本を書いているが、山際淳司はこう評す。「彼が書き連ねた言葉に生気はない。実際はもっとドラマチックであったはずなのに、言葉は存外そっけない。行為そのものに興味を持つ人間にとって、あとからそれを振り返ることなど、どうでもいいことなのだ。」と。  伝えることは大事だし必要なことだけど、何か成し遂げたあとに、伝えることを疎ましがっている自分がいたとき、少し安心する。「ああ、俺は別にファッションだけでやってたわけじゃなかったんだな」とそこで分かるからだ。人にちゃんと全てを伝える余裕がないから、分かりやすいブ

proud of him

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 3年ぶりに早明戦を観に国立へ行った。中学、高校のチームの主将だった伊吹がレギュラーとしてフル出場した。あんなにいい試合をする明治を見たのは初めてだった。あんなにいいDFをするなんて知らなかったし、伊吹のスローインも帝京戦とは打って変わって調子がよかった。実況では何回か名前を呼ばれたんじゃないか?負けたけど、トライ数では勝ったし、早稲田も含め本当に全部いいトライだった。ドロップキックで着実に点を積んでいた早稲田がやはり一枚上手だったとは思う。でも本当にいい試合だった。これだからラグビーやめた俺たちが救われるってもんだ。  会場の外では明中ラグビー部のOBが集まっていた。相変わらずめちゃめちゃ怖かった。野尻さんと奥さんも来ていた。その後、実に4年ぶりに会うラグビー部の仲間と飲んだ。びっくりするくらい変わっていなかった。これで本当に社会で働いていけるのかと疑問だったが、そこに安心したのも俺のわがままだ。普段会わない後輩も、予想以上に俺のことを知っていてうれしかった。その後歌舞伎町で夜の早明戦とやらも見てきた。大学生はおもろいなー。こういうのがあるから勉強ばっかしてちゃいかんとも思う。  彼は俺たちの誇りだ。4年前の俺たちがそうだったように、今も目の前の戦いに必死だった彼を羨ましく思った。ラグビー部以外の友達も言っていた。他の奴らもテレビ中継でも見ただろう。スポーツは試合が全てだ。試合の為に生きる。こういった見せ場みたいのはないけど、俺も仲間から「誇り」と思われる人間になりたい。

dreamer make it come true

 思考は現実化する、というのは本当かもしれないな、と思うときがある。ナポレオン・ヒルはあまり好きではないが、要は、夢は強く願うことで叶う。強く願うことで強く叶える自分が出来てくるからである。無意識下で行動を変え、わがままな人は夢を実現していくものなのかもしれない。 自分の論文執筆と並行して卒業論文集の序文を書かせてもらっている。その中で、このゼミで学んだことをまとめて「総合力」と書いた。無難な言葉づかいをしたというのは否めないが、ある同期の広報担当のゼミ員も募集ポスターでこの言葉を使おうとしていたことに気付く。 僕が初代ゼミ長を務めさせてもらっているこのゼミは、研究テーマ(異文化コミュニケーション)や先生(アメリカ人教授)の担当科目(Verbal Communication)ゆえ帰国子女や留学生などが多く国際色豊かで、ゼミ員も流動的である。僕らの学年から始まったダブル・コア制度で設置されたゼミで、僕がマネジメントコースで経営学のゼミに入っているように、ゼミ員のほとんどはもうひとつのコア、専門分野を持っている。ゼミは、みんなが自らの専門ゼミから、あるいは他の講義、独学から学んだ知識を積極的に持ち寄って議論を進めるといった具合で進んできた。しかしダブル・コアの両立に関して疑問も多く、3年時には5人くらいのゼミ員が一気に辞め、残された僕らは寂しい思いもしたが、その後も留学でいなくなってしまう仲間や半期だけ参加する留学生、徴兵で帰国した仲間、留学から帰って仲間になった者など頻繁に意見の入れ替わりがあった。先輩もいない、伝統もない僕ら1期生はそうしたメンバーの入れ替わりに自然に対応するようになっていったし、そうやって各メンバーの意見が総合されてゼミのカラーが形成されていったと言える。4年生の後期に、先生の奥さんからのプレゼントということで1期生の記念T-シャツを作った。そこに入れた文字は「Synagism(相乗効果)」であり、まさに多様な文化や意見を総合して発展する姿勢が込められた。とは言え、比較的ドライな人間関係であることも事実で、僕もそうだが、他にも居場所を持つゼミ員たちはそこで「友達」を作る必要はない。やはり入室の動機が自身の専門分野学習との相乗効果であるところが大きいため、純粋に(悪い意味でも)勉強だけが目的となりがちで、自然と外資系企業のようなゼミだけの関係

wide nowledge

 変な事を言うかもしれないが、広い知識をつけておいて本当によかった。 何日間もPCに向かって、ほとんど資料も読まずに考え、文章にしていたら論文執筆のスピードが格段に上がったが、参考文献や引用などは全然できていない。なぜなら、後からできるからだ。関連する知識を広く持っていれば、参照することなく自分の頭だけでかなりのことを論じることが出来る。そうやってフレームを作れれば、後から各部分の詳細について資料を参照して仕上げれば良い。 アイデアや論理構成についてはもちろん自信がある一方で、今回の論文はあまり「模範的な」論文形式ではないかもしれない。昨年の論文作成で、学術論文とはどういうものであるかを曲がりなりにも少し学び、それから形式に囚われがちになっていたと思う。そして書きたい事が山ほどあるのに、「書いちゃいけない」あるいは表現力の乏しさゆえに論文化できないことに悩んでいたが、ある時、2年生の時に書いた初めての論文(と呼ぶには恐れ多い内容だけど)のことを思い出して、もっと自由に書いてみようと思った。例えばこうして普段書くブログでも、俺なりのロジックは通している。こんなふうに、俺の考えをしっかり筋道立てて発表するっていうだけのこと。ブログでは小論文書いているようなものだろ。 「ある程度広く、ある程度深く」学ぶにはやはり高校や大学の教育は必要だし、プラスαで貪欲な知識欲がなければいけない。

かけがえのないもの

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ふとした瞬間にいいアイデアはやってくる。通り雨のごとく。怠慢な俺たちはすぐに忘れてしまう。そこから何か生まれるかもしれない、俺の小さなガラクタの山。 Twitter はそういう使い方をしている。  我々は「かけがえのないもの」を尊びながら、我々の社会と言うものはそれをなくす事で発展し続ける。そしてこれからもそうやって自然と未来を食いつぶして正しい現在を手に入れていく。システム化し、予測不能な自然、未来を全て予測できるようにしようとし、支配する。人の個性という不確実性を排除し、「かけがえのない人」をビジネスから排除する(労働疎外)。  真理である。 しかし俺はこういうものを危険思想と呼ぶ。なぜなら、このような真理を知ってしまうことは、「かけがえのあるもの」を作らない、すなわち全て偶然と自然の力に任せてしまうことを肯定するからである。 養老先生の仰る事はとても納得できたし、「予測不能なことがあるから人生は面白い」というのはごもっともである。しかし、だからこそ我々がすべきことはやはり未来と自然を食いつぶし、全てを予測し、因果を追求し、科学することだと思う。そして可能な限りを追求した先に、偶然にも予測不能な自体が起きた時に、我々は「ああ、やられたな」と苦笑いしながらまた自然に挑む。それが人間と自然の宿命の対決であり、その中にこそ人間の幸せはあるのではないだろうか。 予定されてしまった未来は現在の一部である  時間についての考察で養老猛司と茂木健一郎が同じことを書いていた。どうやら出所はミヒャエル・エンデのようだ。過去を否定することで、それまでの自分を抹殺することで人は変化し成長し続ける、と俺は前に書いたが、養老先生は「過去を否定することは現在を否定することだ。なぜなら現在は必ず過去の上に成り立っているから。」と言う。これは単に言葉の使い方の問題であって、俺の考えと変わらない。俺はその都度考えを変え続ける、つまり考え続けることを「過去を否定する」と言い、彼はもっと広い意味で、「その否定の連続を肯定する」ということを言っているのだ。俺は何かを否定したり、間違いを訂正したりして何が正しいかということを探し続けることを肯定しているからこそ一時的な否定の連続なのである。  また、老子や荘子、仏教、そしてラスタやナヴァホもそうなのだろうが、「自然に委ねる」思

情報バックアップにおける有用性と非効率性のジレンマについて

  Picasa のエラーが続いている。Googleによるとメンテナンス中らしいが文化の違いなのか、それとも不都合な事実があるのか、説明がとても不十分だ。PCに全てのデータのバックアップはあるものの、こういうときにネット上に保管してある自分のファイルが維持される保障はどこにもない。SaaSの使用開始時に障害時に関する使用規約に同意させればいいはずだがそれもない。いったいクラウド上の俺たちのデータは誰が保障しているのか、どこの法律で守られるのか。そのうちクラウド保険なんてのが出るんじゃないだろうか。  やはりバックアップは(今のところ)必要だと認識。これは①安全保障の観点からと、もうひとつは②利便性について。この世界は未だにネット接続環境が完全ではない。インターネットで直接つながっていないエリアはまだまだ多い。もしそのエリアにいるならば、直接情報にアクセスできなければならないが、ネット上だけに保管してしまうと間接的に、つまり一箇所(ネットに接続できるところ)を経由して情報にアクセスしなければならない。そしてこういったメンテナンスや障害により、いつも世界とつながっている場所がしばしばそうでなくなる。  一方で、バックアップを取るということは情報量が倍になるということだ。同じ情報を別の場所に保存することがバックアップの意義だから、当然この世界に存在する情報量が倍になる。更にバックアップの量は多いほど、そしてそれらの場所に関連性が低いほど信頼性が高まるから、情報の持ち主によっては3倍、4倍となることもあるだろう。そしてクラウド時代では、手元とネット上のどちらをバックアップとし、どちらをメインの情報とするのか。メインの情報の方が柔軟に使用でき、スマートな形態であるべきで、逆にバックアップの方は操作性よりも完全な状態であることが優先される。パブリックな場所での巨大データセンター構築に走るクラウド企業はその辺をどう考えているのだろうか。データセンターに集積されたユーザーの情報は世界中の持ち主のもとに分散されて然るべきなのか。クラウドは質(使い方)の面で革命を起こしつつあるが、全世界的に見た情報の量の面ではスマートになっていない(むしろどんどんデータセンターは増え、各手元の情報量は変わらない)のではないか?研究を急ぐ。

部屋

http://booklog.jp/users/ksk-11 どんどん便利になるなあ。  このサイトは初めに比べるとかなり機能が充実してきた。表示言語を選べるようにするなどしてグローバルユーザーのニーズに応えられれば生き残れると思う。いづれ本棚ではなく、自分の情報財産をビジュアル化して整理する「部屋」「Warehouse」になると思う(べきだ)。i-Tunesで音楽を買ったらこの本棚に全ての付属情報と共にリストアップされ、KindleやGoogle Readerとも連動。  部屋とは、生活の場である。その機能を分解すると在庫、生産、プロモーションの3つに分けられると思う。 ①在庫機能:自分の財産、生活資源を在庫しておく機能。在庫を減らせない経営者がいるように、物を片付けられない人も多くいる。 ②生産機能:資源を使って何らかの変化を起こすこと。例えば食材を使って料理をしたり、食器を使ってそれを食べたり、音楽を聴いて寝転がってくつろいだり。 ③広告機能:自分の財産を見せることで自分を表現する機能。部屋に行くとその人の趣味や性格が分かる。ある程度の在庫量が情報サンプルとなる。 BooklogのようなサイトはSNSなど自分のポータルサイトとリンクさせることで③広告機能になるし、情報資源に関してはstorageを与えることで(それぞれの本の中身まで保存してしまう)①在庫機能も果たせる。そしてそれが出来ればi-Tunesのようにそこで本を読めるし(あるいはKindleに同期して外で読む)、それは②生産機能だ。  こうして部屋はバーチャルになり、PCやMobileなど端末が一時的な機能を享受するためのより少ない在庫を持つ部屋となり、あとは睡眠をとる場所、料理をする場所、食事をする場所、シャワーなどがあれば用は足りる。そしてこれらは日々同じ場所である必要はない。リアルで在庫しなければならないものは食料と衣類。食料もそのロットが小さくなれば、その日その食事で使う食材だけを入手すればよい。後者はまだ特に在庫を減らすことは難しいが、カーシェアならぬウェアシェアや衣類レンタルが盛んになり、いつか在庫はなくなるだろう。ここまで来たら本格的に人間は定住をやめる。住所はGPSによってその時によって変わり、IDで管理される。それがネット上の住所と連動し、どこにいてもSkypeで会える。  でも、

NY and Southwest USA drive

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これまでのあらすじ(Jamaica)  旅は後半に差し掛かった。次の舞台はAmericaだ。 < see Southwest USA photo album > SW America drive 2009 < see NY photo album > NY Nov. 2009  こういうことを言うと語弊があるかもしれないが、倫理観の高い、あるいは民度の高い国や地域へ行くとむしろ俺の方がrude boyと疑われるんじゃないかと思ってしまう。社会的だとか反社会的ってのは相対的なものに過ぎないんだな。US Gavermentからすれば俺は反社会的な人物だったのだろう。そういう意味ではKingstonの方が楽かもな。(しかしJamaicaで乞食みたいな格好で店に入って怒られた俺。)  NYのPenn Stationを出た瞬間からやられた。なんだ、この街は。就活中に大手町の姿に食らったような感じ。まだ早朝で、通勤の人々にあふれていた。それでも土曜日だったからまだ少ないほうだったのだと思う。荷物をだいぶ減らしたとはいえ、一応生活の道具は一通り持っていたので歩くのは大変だった。公園で農家の朝市をやっていたので朝食を買い、East River Parkを目指し、また地図を片手にひたすら歩く。やっとの思いで川沿いに着き、ベンチで朝日を眺めながら休む。そこで俺は最高の瞬間を手に入れる。 From NY Nov. 2009  これ、この瞬間。自分の足で迷いながら重い荷物を持って、平面の地図を自分の心に立体にして刻んでゆく。くそ寒いし、コーヒーもうまくない。荷物も重いし宿はないし、不安だらけで、それを誰かと共有できているわけでもない一人の時間。しかし、これ以上の幸せな瞬間を俺はまだ知らない。完全な時間。時間の許す限りこうしていたかった。こんな瞬間の為に生きようと思った。 From NY Nov. 2009  思えば俺は感動を人に伝えるのは上手な方かもしれない。こんな感動や幸せを、まぁ俺ほどじゃないにしろ誰も味わっていないわけではないだろうし、味わったならば誰かに伝えたい、誰かと共有したい、理解して欲しいと思うだろう。だがこの手の感動を俺は人から聞いたことはまだない。  しかし、いづれ飽きるんだ。そんなこと幾度となくあったから、もう分かってる。いづれ寒さが身に染み、人肌恋しくなり、また違

Jamaican Surf

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昨日、1ヶ月ぶりに日本に来た。  今回は、Jamaicaに2週間(Surfing70%+Reggae30%)、それからNYへ戻り、Dallas経由でNew MexicoのAlbuquerqueへ飛び、クルマでRoute 66を通りArizonaのFlagstaffで友達2人と合流。それからMonument ValleyやSedona、El Pasoなどのモーテルを毎日転々とし、New MexicoのWhite Sands国立公園でキャンプをした。1週間で約3000kmを走り、再びAlbuquerqueから一人NYへ戻った。  まずJamaicaから。 < see photo album > Jamaica trip 2009  Jamaicaへ行こうと思ったのはかれこれ2年くらい前だと思う。きっかけは、坂口憲二の「この夏は忘れない」で、どうやらサーフィンが出来るらしいことを知ってから。決してずば抜けていい波があったわけではなかったが、ダラダラした波が俺は好きで、加えて楽園のようなカラフルな自然が俺を誘った。そしてその頃にはレゲエも聴いていたし、そういった独自の文化を持った国に惹かれた。今思うと「サーフィンだけではない」ということに少し負い目を感じていたのも事実かもしれないが、結局この旅ではそれがターニングポイントとなる(後述)。  NY乗り継ぎで、恒例となった空港での一泊を経て、Jamaica第二の都市Montego Bayに着く。空港で現地在住のMiyokoさんとドライバーのDavidに迎えにきてもらい、初日は彼女がオーナーを務める Jamrock INN に泊まり、翌日約3時間のドライブを経てKingstonへ行く。中心地のNew KingstonエリアでCollyと落ち合う。2mくらいあるような巨漢で、それまでに会ったJamaicanで一番無愛想だった。俺はてっきり勘違いしていたが、CollyはJutaタクシーのドライバーで、別にJamnesiaファミリーのメンバーでもなければサーファーでもなかった。クルマが大型のバンなので、どうやらJamnesiaのゲストを一手に引き受けてるらしい。そしてKingstonから東に約7mileのBull Bayという田舎町にJamnesiaはあった。 HP を見てもらえばわかるとおり、一応オフィシャルな宿なのだがその実態はラス

Recessive

We often hear the way that try to behave bad. Not realy act villain but appeal my recessive as way to impression the opposition image against original. People always try to evaluate someone better than realy impression. There is many kind people. Nobody can understand just my real parsonality and it is almost impossible. So no matter how deeply anyone understand me, he or she often consider me overestimate than real. Off course the first impressions may be underestimate, however they amendment as communicate increase because of the opposition. And as accumlate of them, the image of me inside people mind will be larger and larger. At same time, I try to follow the image cuz it is happy to be understood. But to catch up the speed is very difficult. Me overestimated, Me trying to catch up and me cannot follow him. Real me who is lonly try to create another me who is inferior then real and let him reflect to the blorted image. The recessive parts are invisible for oneself also other peop