NY and Southwest USA drive


これまでのあらすじ(Jamaica)

 旅は後半に差し掛かった。次の舞台はAmericaだ。



 こういうことを言うと語弊があるかもしれないが、倫理観の高い、あるいは民度の高い国や地域へ行くとむしろ俺の方がrude boyと疑われるんじゃないかと思ってしまう。社会的だとか反社会的ってのは相対的なものに過ぎないんだな。US Gavermentからすれば俺は反社会的な人物だったのだろう。そういう意味ではKingstonの方が楽かもな。(しかしJamaicaで乞食みたいな格好で店に入って怒られた俺。)


 NYのPenn Stationを出た瞬間からやられた。なんだ、この街は。就活中に大手町の姿に食らったような感じ。まだ早朝で、通勤の人々にあふれていた。それでも土曜日だったからまだ少ないほうだったのだと思う。荷物をだいぶ減らしたとはいえ、一応生活の道具は一通り持っていたので歩くのは大変だった。公園で農家の朝市をやっていたので朝食を買い、East River Parkを目指し、また地図を片手にひたすら歩く。やっとの思いで川沿いに着き、ベンチで朝日を眺めながら休む。そこで俺は最高の瞬間を手に入れる。


 これ、この瞬間。自分の足で迷いながら重い荷物を持って、平面の地図を自分の心に立体にして刻んでゆく。くそ寒いし、コーヒーもうまくない。荷物も重いし宿はないし、不安だらけで、それを誰かと共有できているわけでもない一人の時間。しかし、これ以上の幸せな瞬間を俺はまだ知らない。完全な時間。時間の許す限りこうしていたかった。こんな瞬間の為に生きようと思った。


 思えば俺は感動を人に伝えるのは上手な方かもしれない。こんな感動や幸せを、まぁ俺ほどじゃないにしろ誰も味わっていないわけではないだろうし、味わったならば誰かに伝えたい、誰かと共有したい、理解して欲しいと思うだろう。だがこの手の感動を俺は人から聞いたことはまだない。
 しかし、いづれ飽きるんだ。そんなこと幾度となくあったから、もう分かってる。いづれ寒さが身に染み、人肌恋しくなり、また違うところ(another place)へ行きたくなる。それでいいんだ。次があるから、その瞬間は完全で、幸せなんだ。今、この瞬間、俺は世界一幸せだった。あの彼や彼女は、そこを歩いているおっさんはもっと幸せを味わったことがあるのかな?実はそんなこと全く関係なかった。なぜなら、うまく言えないけど、今この瞬間のこの俺の中に幸せがあったから。俺がそれを感じていたから。
 いつも考えていた。確かに俺は今楽しいし幸せだけど、それがなんだっていうんだ?それが将来カネになるっていうのか?違うんだ。逆なんだ。こんな瞬間のために俺は生きていたんだ。これが生きる目的なんだろ。そして、これからもそうなんだろうと、心から思った。だから、こうし続けるためにもちろん努力し続けなければいけないし、進み続けなければならない。幸せの先にカネがあるんじゃない。残念ながら。カネの先にある幸せもいくつかあるってことだ。ただ、それだけの話だよ。
 また荷物を減らそうとも思ったが、こうして重い荷物を持って苦労して辿り着くほど喜びも大きいことに気づく。独立してこんな幸せを味わう瞬間がまたやってきたら、また次のステージに行けるのだろう。

 こうして、まさかのNYで幸福を最高に実感する。NYだからではない。俺がこうして家を離れ、旅をしていたからだ。幸せとは評価されるものではなく、感じるもの。案外普通のことなのかもな。そこを歩いている誰かだって、今どこかを目指しているのかもしれないが、今たぶん幸せなんだろうなと思うんだ。旅をすることが、どこかへ行く途中を幸せと呼ぶのだから。
 その日じゅうにManhattanのMidtown周辺はひととおり周れた。そしてまた俺は空港に帰り、翌朝の出発を待った。

 翌朝、Texas州Dallasを経由してNew MexicoのAlbuquerqueへ着く。早速空港でクルマを調達する。今回の足はFord Explorer。Hells Angelesらしき集団がひしめくRoute 66沿いのMotelにcheck inし、ダイナーで夕食をとる。ウエイトレスにスーパーの場所を聞き、クルマ生活に必要なクーラーボックスや食器、調味料、食料などを揃え、早めに就寝。Flagstaffまでは約500km。去年のMexico tripでのLos Cabos からScopion Bayまでの距離感覚が俺の目安。だいたいノンストップで半日といったところだ。


朝は日の出前に出発し、Interstateの40号線を西に向かった。1/4くらいのところで後方から朝日が昇った。強烈だった。一人で誰かを迎えに行く時間は楽しい。


 途中でちょうど真ん中のGallapに立ち寄るも、あまりに早く着きすぎて町はまだ眠っていた。少しもったいなかったな。ガス・ステーションで給油と朝食を済ませ、先を急いだ。いいペースだ。Flagstaff直前の、砂漠の終わりにMeteor Craterというポイントがあったので試しに寄ってみた。$20と知名度の割りに少し高めだったが、予想外によかった。この辺は言葉にする必要もないだろう。
 


 彼女たちより一日早くFlagstaffに着いた俺は駅前の安い朝食付きのドミトリーに泊まった。FlagstaffもRoute 66を売りにしている、Motelが立ち並ぶ田舎町だ。Downtownは歩いてもすぐに回れる大きさ。「歩いているだけで楽しい」というのは町に着いたその瞬間くらいなもので、一人だったらカネを使わないとこんなところで楽しめない。そもそも俺はAmericaの保守的なこんな田舎町が嫌いだ。俺が好きなのは大都会と、大自然だ。大きいものはいい。一人だったら、海もないしこんな場所には来ていなかった。誰かと旅をするというのはそれくらい重要なことだ。明日も早朝にcheck outし、すぐに彼女たちを拾って出発しなければならない。宿には日本人もいたし、みんな親切で「倫理観が高かった」が、居心地が悪かった。Vagabondの居場所じゃない。ハイキングや、トレッキングといった「余裕のある人のための」レジャーを楽しむ為の町のようだ。こういうのも悪い癖だな。だがちょうど良かった。一人に飽き始めていた。本は7冊ほど読みつくしていたし、入ってくる情報がもう少ないから考えることもなくなっていた。生産能力に投入資源が追いつかず、思考が非効率になっていたのだ。荷造りをしてbarでビールを一杯飲み、早く寝た。

 上のベッドのフランス人のいびきが尋常じゃなくうるさかったので朝はちゃんと起きれた。朝食を多めに頂いて夜明け前の宿をひっそりと出る。そして駅でついに2人と合流。荷物を減らしておいて良かった。予想以上の大きさの荷物が2人分で大型SUVもいっぱいになった。再会を祝い、Uta州境のMonument Valleyに向かった。
 Monument ValleyはまさにAmericaの景色だ。子供の頃、こんな光景に憧れてAmericaを目指した。いつしか俺は海を求めるようになったけど、ある種の失われた原点がここにはあった。付近まで行くともうNavajo Tribeの自治区のようで、白人もいなくなる。だが予想外に道を間違えたりで、Monument ValleyのMotelには暗くなってから戻った。久しぶりにいっぱい酒を飲み、俺たちは夜中にMonument Valleyから落下した。まだその傷は残っている。

(この辺の写真はもう2人に任せてあったから彼女たちの帰国待ち)

 翌朝は日の出を見てから南に戻り、Sedonaという遊園地のような可愛らしい町でアウトレットでのショッピングを楽しみ、予想していたオフロードの山道を1hほど経て夕方にPhoenixに着く。これだけの距離を短期間で走っていると、気候や環境の違いがよく分かる。Phoenixまで来ると気温もグンと上がるし、途中砂漠であったり森林であったり風景がどんどん変わる。また、これまで4、5回ほどAmericaには来たが、初めて本当に暮らしていけそうだと思った。それまで、憧れてはいたし好きな国ではあったが、日本に比べたら全く不便な国だと思っていた。しかしこうしてクルマ中心の生活をし、彼女たちにショッピングを教えてもらうと、なんて便利な国なんだと思った。住めば都と言うのはこういう意味なのだと思った。なぜ不便かって、日本のやり方でやろうとするからだ。この広大な台地を見れば分かる。日本とAmericaは国や文化、生活の成り立ちが根本的に違うのだ。郷に入って、郷に従えば、郷は都となるものだ。
 また、それゆえなのだろうけどAmericaはDIY(Do It Yourself)の文化が本当に根付いていると思った。キャンパーが多いことももちろんそうだし、便利だからと言ってむやみやたらに楽をしない。クルマを自分で修理したり、野菜を育てて食べたり、家具を作ったり。なぜならそういう行為の中に幸せがあることをちゃんと知っているのだと思った。

人間が幸福であるといえるのは、
何かを欲する時と、創り出すときだけである。

自分の仕事の出来具合を自分の目で確かめながら、
それを続けていくことができ、
事物の命令にだけ従い、
事物の教えを楽しく受け入れている限り、
人は幸せである。
自分自身が操縦する船を作る仕事なら、
もっと幸せである。

 翌日は一気にNew Mexicoを目指した。この日、一番長い距離を走ったかもしれないが、そこまで疲れなかった。喉はすでにやられていたし、少し風邪気味だったが長距離の運転にも慣れてきたのだろう。そしてどう転んでも俺しかこの旅を進める事はできないことは分かりきったことなので、ここでの甘えは全く無意味なものだった。そうしてEl Pasoに着いた。Downtownから少し外れた所のやたら安いMotelに泊まる。歩ける距離にbarがあったので、夕食がてら遊びに行く。princessesのお色直しの時間が長く、少しいらだってしまったが久々にめかし込んでそういう場所に行けて良かったと思う。少し心が狭かった。だが体調はこの時最悪だった。やはり国境付近、ラティーノの割合が格段に増える。1年ぶりにまずいMexico料理(豆をぐちゃぐちゃにしたやつ)も食べる。懐かしい味だった。Americaは本当に不思議な国だ。こんな田舎に来ても日本人はそこまで浮かない。地域によっては少し珍しいが、それでもUS Citizenであることが充分ありえる。他の国じゃそうはいかない。まあそれでもこの夜はたくさん話しかけられた。
 
 次の日、ついにWhite Sandsを目指す。El Pasoからは1hくらいで着く。

 

本当にいきなり白くなる。スキー場にいるみたいだ。だがここは、Armyのミサイル演習場としても有名で、その日もちょうど演習が入っていてキャンプは翌日に持ち越された。良かった、と彼女たちは言った。一日準備に使えるから、と。こういうのをいい意味でのpositive thinkingというのだろう。無計画な単なる「前向き思考」ではなく、柔軟にproperなプランを組める。そしてその日にキャンプのpermissionが下りなかったとき、即座に「じゃあ明日は?」と尋ねた二人の意思に本当に安心したし、勇気付けられた。こういう瞬間に、一緒にいてよかったと思わされる。男の、いや俺の弱い部分だし、彼女たちの魅力的な部分だと思った。とは言えその日も夜ケンカした。
 その日はWhite Sandsから一番近い町、AlamogordのMotelに泊まり、Walmartでキャンプ道具を一式揃え、その後赤い砂漠で汚れたクルマを洗ったりでゆっくり時間を使う。相方2人は明るいうちから踊り狂っていた。

 翌朝、Visitor Centerに朝一で行き、キャンプサイトの予約をする。追加で買出しをして、午後にはキャンプを設置。そこはもう俺たちだけの砂漠だった。日が暮れたら移動は困難。準備を入念にし、BBQで夕食を楽しむ。そしてJamaicaから用意していたプレゼントも渡す。夜は予想通りの極寒。思うように寝付けなかった。テントの中にも隙間風が入ってくる。しかし耐えられないほどではなかった。ひたすらNASAの防寒シートに包まって朝を待つのみ。


 やはり朝焼けは素晴らしかった。たぶん人生でこれまで見た日の出で一番美しかったと思う。「たぶん」「と思う」と言ったのは、実際のところ景色なんて二の次だったのだろうと思うからだ。どれだけ美しい景色があっても、単にそれだけを楽しむだけじゃない。やはり俺は旅を見ていたから、今目の前にある景色というよりは、そこに至るまでの計画や、道のり、はたまた車内でのケンカやトラブルといったプロセスが大事だったし、楽しかった。そして本当に半分冗談の口約束から始まったこのダイナミックなプランを実現できた自分が誇らしくもあったし、人と何かを協力してやり遂げるということを久々に実感した気がした。これまではバランスが悪かったんだと思う。Mexico tripは相方に助けられすぎたし、Jamaicaで3人でいた期間は短かったし移動も少なかった。
 朝焼けを見た俺たちはその日じゅうにAlbuquerqueに着き、downtown近くのmotelに泊まってOld Townでショッピングを楽しんだ。よく戻ってきたなと我ながら感心した。キャンプ道具などはmotelにdonationし、翌朝空港でお別れ。2人はカリブ海へ向かうと言って経由地のMiamiへ飛んだ。俺は再びNYへと戻り、Queensの宿へと着いた。


 その後丸二日、NYを回った。とにかく足を使って行きたいポイントは全て回るようにした。おかげでやっとレザージャケットも安く買えたし、買い物は大満足だ。NYはL.Aより人種や文化の調和が取れている。それだけ凝縮されているからなんだろうけど、L.Aが「坩堝」だとしたらNYは「サラダボウル」だ。あとHerlemは高校の頃(ヒップホップにのめりこんでいた頃)に行ったらどっぷりはまっていたんだろうなと思う。しかし一人で使う金も限られた状態では2日も周れば充分だった。いつかでかく金を使いに来たい街だと思った。
 ここらでまた情報枯渇。思考が空回りし始める。所詮vacationの域は超えられなかったかな、と思う。ちょうど良かった。日本にやり残したことが多すぎて不安になり始めていた。ここに来て、Billyの言葉が思い出される。
どこにいようと変わらない。俺は俺で、現実もついて回る。あまりに想像力が乏しい為に経験や環境に依存しがちだけど、戦わなければならない相手はどこにいるとかじゃなく自分の中にいるし、東京だろうが千葉、Jamaica、NY、Arizonaだろうが変わらねえ。

 これが実は

 こうだということ。
(早朝にBrooklynを歩いていてたまたま見つけたモニュメント。なかなかいいだろ?)

 旅に出るたび、カバンを変えて帰ってきた。はじめに持っていたカバンや、その中の荷物を手放し、旅先で手に入れた物を入れるためのカバンをまた買い、移動の目途が立つと荷物を準備した。

また忙しくなる。次の幸せを準備する時間だ。

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