STILL

少し違う風に当たりたかったから、しばらく顔を出すのをやめた。
ただ、旅に出るといつも俺は勘違いされる。
周りの多くの奴はどうやら退屈らしかった。


「あぁ、またどっか行っちゃったよ」
「得意の自己陶酔が始まったぜ」
「またそれっぽい偽善をたれるんだろう?」


確かに王様気取りのこいつはプライドが高いが、
俺が考えていたのは、残念ながらそんなことじゃなかった。
謝らなければならないことがたくさんある。
それよりも先に、感謝しなければならないことが山ほどある。
それが何より重要だった。


どんなに多くを学んでも、たまに見返りを求めたり、
それでたまにいらだったりする。まだまだだな。
確かに物事が思い通りにならないと辛いけど、
何かを欲しがる、どこか目指す場所があるってことは本当に幸せだ。
それが何より大切だった。
たどり着いても、たどり着いても、まだ先があった。
その時俺は幸せだった。
だったら俺にはすることがこれからたくさんある。
周りに負けじと、俺は若かった。




 一晩中泣いて冷静になった、と矢沢が昔言った。映画を観て久々に泣いた。号泣した。自分でも驚いた。堪えるのに精一杯だった。ああ、本気だったんだなとどこかで安心した。母は、心が疲れているのよ、と言った。うちの母にしては珍しく何か察したのだろうか。
 幼い頃、たまにふざけて母に父との馴れ初めを訊くと、(もちろん父のいない場でだけど)決まって母は「断れなかった」と冗談めかして答えた。子どもながらに、笑ってはいるが半分本心なのだろうと思い、嫌だった。違う答えを期待してまた尋ねても同じ答えしか返って来ず、毎回残念な思いをしていた。先の映画は、ある夫婦の話だった。同じ日に、また夫婦の話を本で読んだ。なんてタイムリーなんだろう。良くも悪くも、コントロールできないことはまだたくさんある。




 腕に矛盾が刻まれてる。伝えなければならないという義務感と、黙って考えなければならない、孤独と戦わなければならないという義務感。


ひとりで生きてはいけない。頼りなさい。
伝えることをあきらめてはいけない。
そして背負いなさい、仲間を。


 そう告げる声がここ数年強かった。だけど再び、ある別の声が呼ぶ。


向き合いなさい、この私と。
他ではなくこの私との問答から逃げてはいけない。
私の中に探してるものがある。
入り口はこっちだ。


 声の主とは決別したはずだった。だが、彼は密かに俺を追っていた。彼は俺の味方だった。俺にはとても厳しかったが、俺から離れていくことはなかった。


 別に、どちらの方が苦しいというのじゃない。矛盾には翼も生えていた。




 いつも部外者であった。違う色を混ぜ合わせるのが俺の仕事だった。だから、大概みんな俺を喜んで迎えてくれた。俺は人気者だった。珍しい色をたくさん抱えた行商人は方々から招かれて忙しかった。
 だが、例えば彼らにもそれぞれ家族がいる。気の置けない仲間もいる。気をよくして俺が上がろうとすると、悪いがちょっと待ってくれ、この先はプライベートなんだ、と言う。ある程度の期間、旅を共にした仲間たちは、ホームに帰ると、もう旅は終わりだ、と言う。だったら、俺はどこに帰ればいいのかと途方に暮れる。


月日は百台の過客にして
行きかう年もまた旅人なり


 ずっと一緒にいると思っていた友達も、また過ぎ去っていく。だけど、また会えるだろう。会えると信じて生きよう。

Comments

Popular posts from this blog

プエルト・エスコンディード サーフマップ

THE WEIGHT

Jamaican Surf