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Showing posts from November, 2009

dreamer make it come true

 思考は現実化する、というのは本当かもしれないな、と思うときがある。ナポレオン・ヒルはあまり好きではないが、要は、夢は強く願うことで叶う。強く願うことで強く叶える自分が出来てくるからである。無意識下で行動を変え、わがままな人は夢を実現していくものなのかもしれない。 自分の論文執筆と並行して卒業論文集の序文を書かせてもらっている。その中で、このゼミで学んだことをまとめて「総合力」と書いた。無難な言葉づかいをしたというのは否めないが、ある同期の広報担当のゼミ員も募集ポスターでこの言葉を使おうとしていたことに気付く。 僕が初代ゼミ長を務めさせてもらっているこのゼミは、研究テーマ(異文化コミュニケーション)や先生(アメリカ人教授)の担当科目(Verbal Communication)ゆえ帰国子女や留学生などが多く国際色豊かで、ゼミ員も流動的である。僕らの学年から始まったダブル・コア制度で設置されたゼミで、僕がマネジメントコースで経営学のゼミに入っているように、ゼミ員のほとんどはもうひとつのコア、専門分野を持っている。ゼミは、みんなが自らの専門ゼミから、あるいは他の講義、独学から学んだ知識を積極的に持ち寄って議論を進めるといった具合で進んできた。しかしダブル・コアの両立に関して疑問も多く、3年時には5人くらいのゼミ員が一気に辞め、残された僕らは寂しい思いもしたが、その後も留学でいなくなってしまう仲間や半期だけ参加する留学生、徴兵で帰国した仲間、留学から帰って仲間になった者など頻繁に意見の入れ替わりがあった。先輩もいない、伝統もない僕ら1期生はそうしたメンバーの入れ替わりに自然に対応するようになっていったし、そうやって各メンバーの意見が総合されてゼミのカラーが形成されていったと言える。4年生の後期に、先生の奥さんからのプレゼントということで1期生の記念T-シャツを作った。そこに入れた文字は「Synagism(相乗効果)」であり、まさに多様な文化や意見を総合して発展する姿勢が込められた。とは言え、比較的ドライな人間関係であることも事実で、僕もそうだが、他にも居場所を持つゼミ員たちはそこで「友達」を作る必要はない。やはり入室の動機が自身の専門分野学習との相乗効果であるところが大きいため、純粋に(悪い意味でも)勉強だけが目的となりがちで、自然と外資系企業のようなゼミだけの関係

wide nowledge

 変な事を言うかもしれないが、広い知識をつけておいて本当によかった。 何日間もPCに向かって、ほとんど資料も読まずに考え、文章にしていたら論文執筆のスピードが格段に上がったが、参考文献や引用などは全然できていない。なぜなら、後からできるからだ。関連する知識を広く持っていれば、参照することなく自分の頭だけでかなりのことを論じることが出来る。そうやってフレームを作れれば、後から各部分の詳細について資料を参照して仕上げれば良い。 アイデアや論理構成についてはもちろん自信がある一方で、今回の論文はあまり「模範的な」論文形式ではないかもしれない。昨年の論文作成で、学術論文とはどういうものであるかを曲がりなりにも少し学び、それから形式に囚われがちになっていたと思う。そして書きたい事が山ほどあるのに、「書いちゃいけない」あるいは表現力の乏しさゆえに論文化できないことに悩んでいたが、ある時、2年生の時に書いた初めての論文(と呼ぶには恐れ多い内容だけど)のことを思い出して、もっと自由に書いてみようと思った。例えばこうして普段書くブログでも、俺なりのロジックは通している。こんなふうに、俺の考えをしっかり筋道立てて発表するっていうだけのこと。ブログでは小論文書いているようなものだろ。 「ある程度広く、ある程度深く」学ぶにはやはり高校や大学の教育は必要だし、プラスαで貪欲な知識欲がなければいけない。

かけがえのないもの

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ふとした瞬間にいいアイデアはやってくる。通り雨のごとく。怠慢な俺たちはすぐに忘れてしまう。そこから何か生まれるかもしれない、俺の小さなガラクタの山。 Twitter はそういう使い方をしている。  我々は「かけがえのないもの」を尊びながら、我々の社会と言うものはそれをなくす事で発展し続ける。そしてこれからもそうやって自然と未来を食いつぶして正しい現在を手に入れていく。システム化し、予測不能な自然、未来を全て予測できるようにしようとし、支配する。人の個性という不確実性を排除し、「かけがえのない人」をビジネスから排除する(労働疎外)。  真理である。 しかし俺はこういうものを危険思想と呼ぶ。なぜなら、このような真理を知ってしまうことは、「かけがえのあるもの」を作らない、すなわち全て偶然と自然の力に任せてしまうことを肯定するからである。 養老先生の仰る事はとても納得できたし、「予測不能なことがあるから人生は面白い」というのはごもっともである。しかし、だからこそ我々がすべきことはやはり未来と自然を食いつぶし、全てを予測し、因果を追求し、科学することだと思う。そして可能な限りを追求した先に、偶然にも予測不能な自体が起きた時に、我々は「ああ、やられたな」と苦笑いしながらまた自然に挑む。それが人間と自然の宿命の対決であり、その中にこそ人間の幸せはあるのではないだろうか。 予定されてしまった未来は現在の一部である  時間についての考察で養老猛司と茂木健一郎が同じことを書いていた。どうやら出所はミヒャエル・エンデのようだ。過去を否定することで、それまでの自分を抹殺することで人は変化し成長し続ける、と俺は前に書いたが、養老先生は「過去を否定することは現在を否定することだ。なぜなら現在は必ず過去の上に成り立っているから。」と言う。これは単に言葉の使い方の問題であって、俺の考えと変わらない。俺はその都度考えを変え続ける、つまり考え続けることを「過去を否定する」と言い、彼はもっと広い意味で、「その否定の連続を肯定する」ということを言っているのだ。俺は何かを否定したり、間違いを訂正したりして何が正しいかということを探し続けることを肯定しているからこそ一時的な否定の連続なのである。  また、老子や荘子、仏教、そしてラスタやナヴァホもそうなのだろうが、「自然に委ねる」思

情報バックアップにおける有用性と非効率性のジレンマについて

  Picasa のエラーが続いている。Googleによるとメンテナンス中らしいが文化の違いなのか、それとも不都合な事実があるのか、説明がとても不十分だ。PCに全てのデータのバックアップはあるものの、こういうときにネット上に保管してある自分のファイルが維持される保障はどこにもない。SaaSの使用開始時に障害時に関する使用規約に同意させればいいはずだがそれもない。いったいクラウド上の俺たちのデータは誰が保障しているのか、どこの法律で守られるのか。そのうちクラウド保険なんてのが出るんじゃないだろうか。  やはりバックアップは(今のところ)必要だと認識。これは①安全保障の観点からと、もうひとつは②利便性について。この世界は未だにネット接続環境が完全ではない。インターネットで直接つながっていないエリアはまだまだ多い。もしそのエリアにいるならば、直接情報にアクセスできなければならないが、ネット上だけに保管してしまうと間接的に、つまり一箇所(ネットに接続できるところ)を経由して情報にアクセスしなければならない。そしてこういったメンテナンスや障害により、いつも世界とつながっている場所がしばしばそうでなくなる。  一方で、バックアップを取るということは情報量が倍になるということだ。同じ情報を別の場所に保存することがバックアップの意義だから、当然この世界に存在する情報量が倍になる。更にバックアップの量は多いほど、そしてそれらの場所に関連性が低いほど信頼性が高まるから、情報の持ち主によっては3倍、4倍となることもあるだろう。そしてクラウド時代では、手元とネット上のどちらをバックアップとし、どちらをメインの情報とするのか。メインの情報の方が柔軟に使用でき、スマートな形態であるべきで、逆にバックアップの方は操作性よりも完全な状態であることが優先される。パブリックな場所での巨大データセンター構築に走るクラウド企業はその辺をどう考えているのだろうか。データセンターに集積されたユーザーの情報は世界中の持ち主のもとに分散されて然るべきなのか。クラウドは質(使い方)の面で革命を起こしつつあるが、全世界的に見た情報の量の面ではスマートになっていない(むしろどんどんデータセンターは増え、各手元の情報量は変わらない)のではないか?研究を急ぐ。

部屋

http://booklog.jp/users/ksk-11 どんどん便利になるなあ。  このサイトは初めに比べるとかなり機能が充実してきた。表示言語を選べるようにするなどしてグローバルユーザーのニーズに応えられれば生き残れると思う。いづれ本棚ではなく、自分の情報財産をビジュアル化して整理する「部屋」「Warehouse」になると思う(べきだ)。i-Tunesで音楽を買ったらこの本棚に全ての付属情報と共にリストアップされ、KindleやGoogle Readerとも連動。  部屋とは、生活の場である。その機能を分解すると在庫、生産、プロモーションの3つに分けられると思う。 ①在庫機能:自分の財産、生活資源を在庫しておく機能。在庫を減らせない経営者がいるように、物を片付けられない人も多くいる。 ②生産機能:資源を使って何らかの変化を起こすこと。例えば食材を使って料理をしたり、食器を使ってそれを食べたり、音楽を聴いて寝転がってくつろいだり。 ③広告機能:自分の財産を見せることで自分を表現する機能。部屋に行くとその人の趣味や性格が分かる。ある程度の在庫量が情報サンプルとなる。 BooklogのようなサイトはSNSなど自分のポータルサイトとリンクさせることで③広告機能になるし、情報資源に関してはstorageを与えることで(それぞれの本の中身まで保存してしまう)①在庫機能も果たせる。そしてそれが出来ればi-Tunesのようにそこで本を読めるし(あるいはKindleに同期して外で読む)、それは②生産機能だ。  こうして部屋はバーチャルになり、PCやMobileなど端末が一時的な機能を享受するためのより少ない在庫を持つ部屋となり、あとは睡眠をとる場所、料理をする場所、食事をする場所、シャワーなどがあれば用は足りる。そしてこれらは日々同じ場所である必要はない。リアルで在庫しなければならないものは食料と衣類。食料もそのロットが小さくなれば、その日その食事で使う食材だけを入手すればよい。後者はまだ特に在庫を減らすことは難しいが、カーシェアならぬウェアシェアや衣類レンタルが盛んになり、いつか在庫はなくなるだろう。ここまで来たら本格的に人間は定住をやめる。住所はGPSによってその時によって変わり、IDで管理される。それがネット上の住所と連動し、どこにいてもSkypeで会える。  でも、

NY and Southwest USA drive

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これまでのあらすじ(Jamaica)  旅は後半に差し掛かった。次の舞台はAmericaだ。 < see Southwest USA photo album > SW America drive 2009 < see NY photo album > NY Nov. 2009  こういうことを言うと語弊があるかもしれないが、倫理観の高い、あるいは民度の高い国や地域へ行くとむしろ俺の方がrude boyと疑われるんじゃないかと思ってしまう。社会的だとか反社会的ってのは相対的なものに過ぎないんだな。US Gavermentからすれば俺は反社会的な人物だったのだろう。そういう意味ではKingstonの方が楽かもな。(しかしJamaicaで乞食みたいな格好で店に入って怒られた俺。)  NYのPenn Stationを出た瞬間からやられた。なんだ、この街は。就活中に大手町の姿に食らったような感じ。まだ早朝で、通勤の人々にあふれていた。それでも土曜日だったからまだ少ないほうだったのだと思う。荷物をだいぶ減らしたとはいえ、一応生活の道具は一通り持っていたので歩くのは大変だった。公園で農家の朝市をやっていたので朝食を買い、East River Parkを目指し、また地図を片手にひたすら歩く。やっとの思いで川沿いに着き、ベンチで朝日を眺めながら休む。そこで俺は最高の瞬間を手に入れる。 From NY Nov. 2009  これ、この瞬間。自分の足で迷いながら重い荷物を持って、平面の地図を自分の心に立体にして刻んでゆく。くそ寒いし、コーヒーもうまくない。荷物も重いし宿はないし、不安だらけで、それを誰かと共有できているわけでもない一人の時間。しかし、これ以上の幸せな瞬間を俺はまだ知らない。完全な時間。時間の許す限りこうしていたかった。こんな瞬間の為に生きようと思った。 From NY Nov. 2009  思えば俺は感動を人に伝えるのは上手な方かもしれない。こんな感動や幸せを、まぁ俺ほどじゃないにしろ誰も味わっていないわけではないだろうし、味わったならば誰かに伝えたい、誰かと共有したい、理解して欲しいと思うだろう。だがこの手の感動を俺は人から聞いたことはまだない。  しかし、いづれ飽きるんだ。そんなこと幾度となくあったから、もう分かってる。いづれ寒さが身に染み、人肌恋しくなり、また違

Jamaican Surf

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昨日、1ヶ月ぶりに日本に来た。  今回は、Jamaicaに2週間(Surfing70%+Reggae30%)、それからNYへ戻り、Dallas経由でNew MexicoのAlbuquerqueへ飛び、クルマでRoute 66を通りArizonaのFlagstaffで友達2人と合流。それからMonument ValleyやSedona、El Pasoなどのモーテルを毎日転々とし、New MexicoのWhite Sands国立公園でキャンプをした。1週間で約3000kmを走り、再びAlbuquerqueから一人NYへ戻った。  まずJamaicaから。 < see photo album > Jamaica trip 2009  Jamaicaへ行こうと思ったのはかれこれ2年くらい前だと思う。きっかけは、坂口憲二の「この夏は忘れない」で、どうやらサーフィンが出来るらしいことを知ってから。決してずば抜けていい波があったわけではなかったが、ダラダラした波が俺は好きで、加えて楽園のようなカラフルな自然が俺を誘った。そしてその頃にはレゲエも聴いていたし、そういった独自の文化を持った国に惹かれた。今思うと「サーフィンだけではない」ということに少し負い目を感じていたのも事実かもしれないが、結局この旅ではそれがターニングポイントとなる(後述)。  NY乗り継ぎで、恒例となった空港での一泊を経て、Jamaica第二の都市Montego Bayに着く。空港で現地在住のMiyokoさんとドライバーのDavidに迎えにきてもらい、初日は彼女がオーナーを務める Jamrock INN に泊まり、翌日約3時間のドライブを経てKingstonへ行く。中心地のNew KingstonエリアでCollyと落ち合う。2mくらいあるような巨漢で、それまでに会ったJamaicanで一番無愛想だった。俺はてっきり勘違いしていたが、CollyはJutaタクシーのドライバーで、別にJamnesiaファミリーのメンバーでもなければサーファーでもなかった。クルマが大型のバンなので、どうやらJamnesiaのゲストを一手に引き受けてるらしい。そしてKingstonから東に約7mileのBull Bayという田舎町にJamnesiaはあった。 HP を見てもらえばわかるとおり、一応オフィシャルな宿なのだがその実態はラス