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Showing posts from December, 2009

僕たちが大人になれない12の理由

タイトルは昔読んだ本から。 思い出話。  1年生の5月、大学で出来た友達に連れられて、色んな大学の人たちが集まってビジネスをやろう、みたいな集まりに行った。そこではみんな何故かスーツを着ていて、名刺を持っていた。彼らいわく、この集まりは「起業志向」なんだと言った。ああ、自分でビジネスをやることか、それなら俺も混ぜてよ、って感じで連絡を取り合うことにした。次の日、名刺を作った。しかし、何かインパクトがあって、カッコいい肩書きが欲しいと思った。それならpresidentだろう、ということで代表の肩書きにした。しかし、何の代表だ?俺がリーダーならば、チームがなきゃいけない。そこで「金字党」という団体をその場で立ち上げた。この金字党という名前は実は高校のときに考えていた。確か、その頃から自分のチームを作りたくて、ラッパ我リヤとかの「走馬党エンタテイメント」に倣って命名したんだと思う。その証拠に、高校のラグビー部の部室にいくつかダギングしてあると思う。名刺の名前の下には「traveling」と入れた。これは「ティファニーで朝食を」の主人公を真似た俺なりのアピールだった。  そしてその後、高校の奴らを集めてメンバーにして、実質的にチームにした。対外的には「ビジネス団体」と表明して、ビジネスに興味がある奴が集まるようにした。その頃から団体の目的も明確に整理して、「団体理念」も書き上げて公表した。そしてそれに釣られて、思惑通り「起業志向」の学生が集まってきた。俺たちは面白がって面接を行った。相方はハンバーガー片手に面接をしていた。悪ふざけもいいとこだったな。でも集まった奴らは、メークマネーしたいって言う割には、正直ダサい奴らばっかだった。おどおどして、胸を張って夢も語れないような奴らだった。俺がそこから育てるべきだったんだが、出自が違っても活きのいい奴と俺は一緒にやりたかった。例え音楽を知らなくても、ヒップホップ的な精神がわかる奴とやりたかった。まだ伝えることに責任感がなかったのだと思う。  俺は金字党っていうインパクトのあるチーム名を使って、大学のエンタテイメントシーンに変革を起こしたかった。そして1年生のときにPurple Hazeっていうイベントを立ち上げた。1年後にはPurple Hazeと金字党って名前は大学じゃみんな知っていた。2回目のPurple

STILL

少し違う風に当たりたかったから、しばらく顔を出すのをやめた。 ただ、旅に出るといつも俺は勘違いされる。 周りの多くの奴はどうやら退屈らしかった。 「あぁ、またどっか行っちゃったよ」 「得意の自己陶酔が始まったぜ」 「またそれっぽい偽善をたれるんだろう?」 確かに王様気取りのこいつはプライドが高いが、 俺が考えていたのは、残念ながらそんなことじゃなかった。 謝らなければならないことがたくさんある。 それよりも先に、感謝しなければならないことが山ほどある。 それが何より重要だった。 どんなに多くを学んでも、たまに見返りを求めたり、 それでたまにいらだったりする。まだまだだな。 確かに物事が思い通りにならないと辛いけど、 何かを欲しがる、どこか目指す場所があるってことは本当に幸せだ。 それが何より大切だった。 たどり着いても、たどり着いても、まだ先があった。 その時俺は幸せだった。 だったら俺にはすることがこれからたくさんある。 周りに負けじと、俺は若かった。  一晩中泣いて冷静になった、と矢沢が昔言った。映画を観て久々に泣いた。号泣した。自分でも驚いた。堪えるのに精一杯だった。ああ、本気だったんだなとどこかで安心した。母は、心が疲れているのよ、と言った。うちの母にしては珍しく何か察したのだろうか。  幼い頃、たまにふざけて母に父との馴れ初めを訊くと、(もちろん父のいない場でだけど)決まって母は「断れなかった」と冗談めかして答えた。子どもながらに、笑ってはいるが半分本心なのだろうと思い、嫌だった。違う答えを期待してまた尋ねても同じ答えしか返って来ず、毎回残念な思いをしていた。先の映画は、ある夫婦の話だった。同じ日に、また夫婦の話を本で読んだ。なんてタイムリーなんだろう。良くも悪くも、コントロールできないことはまだたくさんある。  腕に矛盾が刻まれてる。伝えなければならないという義務感と、黙って考えなければならない、孤独と戦わなければならないという義務感。 ひとりで生きてはいけない。頼りなさい。 伝えることをあきらめてはいけない。 そして背負いなさい、仲間を。  そう告げる声がここ数年強かった。だけど再び、ある別の声が呼ぶ。 向き合いなさい、この私と。 他では

The Sethis "The Importance Of Compatible Technology In The Next ICT" (卒業論文「ICT変遷に伴う互換性の意義」)

論文が完成。ここ半年くらいで考えたことをわりとまとめれた。かなり初めは荒削りしたのでシンプルすぎるところもあるかもしれませんが、イチバン言いたいことを抽象化できたのでまぁ満足。 ↓提出前だけど公開します。意見もください。 ◆概要プレゼンテーション ◆本文 <キーワード> Compatibility, Accessibility, Standardization, 媒体 , innovation, translation, software, 文化相対主義 <要旨>  「氾濫」から「スマート」へ。無限のパブリック・スペースをあらゆる情報が混沌と埋め尽くしていった時代から、それらを整理し、より効率的に使う時代へと情報社会は変わりつつある。そしてより可用性の高まった情報社会において、これから重要な議論となるのは情報通信技術を含む様々なコミュニケーション・ツールの標準化についてである。    グローバル化と ICT 化は相互に密接に関連しながら、やがて経済から人々の生活にまで影響する。1つの世界標準を作ることは、その標準に倣ったもの同士の移植性を高めるが、閉ざされた競争環境を生み出しやすい。それまで考えもしなかったようなイノベーションによって発展し続ける我々の世界にとって、「変わりにくい標準」は技術の進歩を妨げる。当論文では主に情報通信技術分野に焦点を当てて、コミュニケーションという広い視点と関連させながら標準化について説く。 明治大学商学部商学科総合学際演習バワーズ・ゼミナール第1期卒業論文集寄稿

THE ROOTS

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遊牧民の王様の話のルーツがわかった。 お互い変わっても、それを尊重し合える関係は素晴らしい。  地元にヒデくんという友達がいる。俺には地元がないから、高校のラグビー部で一年先輩だった彼がたまたま近くに住んでいたというだけなのだけど。彼とは高校の頃からよく地元の銭湯に行って語り合った。そしてその後は彼の家に行って、朝まで話の続きをするといった具合だった。たまに他の仲間も呼んで俺の家で会を開くこともあった。あの頃の移動はチャリだったな。今はクルマだ。  ヒデは中学まで不良だったが、音楽や思想など色んな世界を知ってた彼から幼かった俺は色んなことを吸収した。部活が中心の生活だったし、高校生らしい遊びもしてたけど、レコードを探しに行ったり、ミニシアターを観に行ったり、メインストリームから少し外れたようなカルチャーを歩き回った。  一年早く大学に上がった彼は早速インドへ行った。大学に入ったら海外を旅するのが夢だったから、俺の方がわくわくして、行きは空港まで見送りした。平日の朝だった。通勤ラッシュの満員電車で彼は言った。日本ってどんな国なんだろう。  確かその後だと思う。俺がよくするモンゴルの話を聞いたのは。史上最大の帝国には何一つ遺跡や文書が残っていない。宮廷さえも移動式だった彼ら遊牧民は、記録でなく記憶の民族なのだと。  一年遅れて俺も大学に入学し、カリフォルニアからメキシコにかけて旅に出た。初めての一人旅で一気に世界観が広がった。帰国して、「憧れの先輩」であったヒデとまたそのことを語り合うと、彼は「もう俺たちはフラットな関係だ。俺はもう先輩じゃないから敬語もやめよう。」と言った。その頃からだ、彼を「ヒデ」と親しみを込めて呼ぶようになったのは。  それからは段々と合う頻度も減っていった。同じ大学生と言えど住む世界はだいぶ違った。俺はその頃から交友関係を広げることに努めるようになっていったし、ヒデは逆にアンダーグラウンドに近づいていった。詳しくは知らないが、少なくとも周りからはそう見られていたし、とにかく俺とは対照的なベクトルを持って進んでいった。お互い連絡を取り合うようなことは少ないし、ただ口約束でも社交辞令でもなく、確実にまた銭湯に行こうとは思っていた。  そして先日、久々に会合が実現した。話を辿ってみたらちょうど一年ぶりだった。意外に

サーフィンについて

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 先日、 Jamaicaでサーフボードを手放してきた 。千葉の家も出たし、次いつ海に行けるかはわからない。勘違いしないでくれ。俺はサーフィンはやめない。またいつか海に向かうし、それは明日かもしれないし1年後かもしれない。そして死ぬまで海は俺の居場所のひとつだと思う。サーフトリップにも行く。またあの大きな荷物で旅に出る。   サーフィンをする奴が偉いとかいう意識はもうなくなった。結局のところ終わりのないトンネルで、実はそこを進んでるときが楽しい。トンネルを抜けることが目的ではないことに気がついたから。あいつはサーフィンやめちまっただとか、海も行かないで何してんだとか、もうそんなことを言い合うようなレベルは抜けた。俺もこの先そうやって揶揄されるんだろう。サーファーという称号は与えられなくなるだろう。だが、それが与えられるものである時代は俺の中で終わった。また、たまに海に行くだろう。そしてブランクに落ち込んだりするだろうが、その時の波を楽しんで、「サーフィンに出会ってよかった」とまた思うだろう。そんな自信を、海から離れた丘の上で感じた。 先に海から離れた奴は、今一生懸命仕事の勉強をしてる。別の奴は家庭を持ってがんばって支えてる。そして俺が憧れた先輩はしばらく違う世界へ行くための勉強に取り掛かると言った。みんな海だけじゃ生きられないんだ。だから海で彼らに出会えたことは最高の宝だし、またいつか一緒にサーフィンしようぜって思う。 言わなくていいことかもしれないけど、こうやって自分のものにした実感があるから、また海に向かうだろうって自分でも思うから、ひとまず、もっと大変な人生に俺は取り掛かるよ。 From Surfin Life

THE WEIGHT

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孤独は楽だ。 そんなに楽をしちゃいけない。 書き溜めていたことをいくつか。   Jamaicaの旅行記 で書いたが、一人旅は不安であると同時にとても気楽だ。自分自身の心配をしていればいいし、自分自身にだけ責任を持てばあとは自由だ。どこへ行こうと、何をしようと、結果がどうであれ全て自分に跳ね返ってくる。 「僕がどれだけ一生懸命にいいプレーをしても、他の選手のミスで負けるときがたまらなく嫌だった。11人のメンバーで試合をしているんだから、しょうがないことだということはすぐわかる。僕のミスで負けることもあるんだからね。でも、自分でやったことがちゃんと自分に跳ね返ってこないということは、辛いことだよ。」こう言った彼はその後クライマーになった。わがままな人間はこう言う。俺もその類かもしれない。「辛いこと」から逃げて、孤独という大儀を掲げて自由を一人謳歌する。荷物が少なければフットワークも軽い。 だが、それでいいのか?とまた自問自答が続く。これまで見た景色で、素晴らしかった景色は?重い荷物を背負って、しんどい中たどり着いた景色だったじゃないか。そして色々な出会いをまたカバンにいっぱい詰め込んで帰ってきたじゃないか。デスペラード、人と生きることを覚悟したんなら、心の片隅にでもいいから、大切なものは仕舞っておくんだな。もちろんまた荷物を減らしたり、カバンを変えたりはするだろう。でも、忘れちゃいけないものは増えてくもんだ。  先日、アメリカを一緒に旅していた友達が旅行記を書いていた。あんなにエキサイティングで濃かった日々とは裏腹に、彼女たちの書く日記はあっさりしていた。少し意外だったが、なんだかその気持ちが分かる気がした。クライマーの加藤保男は一冊の本を書いているが、山際淳司はこう評す。「彼が書き連ねた言葉に生気はない。実際はもっとドラマチックであったはずなのに、言葉は存外そっけない。行為そのものに興味を持つ人間にとって、あとからそれを振り返ることなど、どうでもいいことなのだ。」と。  伝えることは大事だし必要なことだけど、何か成し遂げたあとに、伝えることを疎ましがっている自分がいたとき、少し安心する。「ああ、俺は別にファッションだけでやってたわけじゃなかったんだな」とそこで分かるからだ。人にちゃんと全てを伝える余裕がないから、分かりやすいブ

proud of him

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 3年ぶりに早明戦を観に国立へ行った。中学、高校のチームの主将だった伊吹がレギュラーとしてフル出場した。あんなにいい試合をする明治を見たのは初めてだった。あんなにいいDFをするなんて知らなかったし、伊吹のスローインも帝京戦とは打って変わって調子がよかった。実況では何回か名前を呼ばれたんじゃないか?負けたけど、トライ数では勝ったし、早稲田も含め本当に全部いいトライだった。ドロップキックで着実に点を積んでいた早稲田がやはり一枚上手だったとは思う。でも本当にいい試合だった。これだからラグビーやめた俺たちが救われるってもんだ。  会場の外では明中ラグビー部のOBが集まっていた。相変わらずめちゃめちゃ怖かった。野尻さんと奥さんも来ていた。その後、実に4年ぶりに会うラグビー部の仲間と飲んだ。びっくりするくらい変わっていなかった。これで本当に社会で働いていけるのかと疑問だったが、そこに安心したのも俺のわがままだ。普段会わない後輩も、予想以上に俺のことを知っていてうれしかった。その後歌舞伎町で夜の早明戦とやらも見てきた。大学生はおもろいなー。こういうのがあるから勉強ばっかしてちゃいかんとも思う。  彼は俺たちの誇りだ。4年前の俺たちがそうだったように、今も目の前の戦いに必死だった彼を羨ましく思った。ラグビー部以外の友達も言っていた。他の奴らもテレビ中継でも見ただろう。スポーツは試合が全てだ。試合の為に生きる。こういった見せ場みたいのはないけど、俺も仲間から「誇り」と思われる人間になりたい。